鬼束 ちひろ
名前:鬼束ちひろ(おにつか ちひろ)
出身地:宮崎県
生年月日:1980年10月30日
星座:蠍座
血液型:O型
身長:154cm
所属レコード会社:MELODY STAR RECORDS
尊敬するアーティスト:ジュエル
最終目標?:グラミー賞
好きな言葉:疾風怒濤
モットー:やられたらやり返す
友達:中島美嘉、元ちとせ、篠原ともえ、気志團、藤原紀香
☆鬼束 ちひろについて☆
1980年宮崎生まれ。 幼少から、両親の影響で自然に音楽(洋楽)に触れる。 自身の嗜好として音楽に意識を持ったのはアラニス・モリセットを聞いていた中学時代。 しかし、高校時代において衝撃的なジュエルとの「出会い」が彼女を変える。 彼女の音楽・その存在に衝撃を受けたその瞬間から、シンガーソングライター鬼束ちひろが誕生したのであった。 クラスの仲間が受験勉強に集中するなか、それこそ夢中で音楽を創り続けた。 本当は不安だったが、自分には音楽しかないと決めていた。 卒業前に受けたオーディションでその音楽的才能が評価され、卒業後の1999年春、東京へ。 その後、新たな創作活動に入る。 多くの作品が生み出されたその期間は、まるで音楽の神に取り憑かれたような日々だった。 この日々が現在の鬼束ちひろの根幹を成していることは言うまでもない。
2000年2月にシングル「シャイン」でデビュー。 続く2枚目のシングル「月光」がTVドラマの主題歌に抜擢され、これをきっかけに鬼束ちひろは全国区の注目新人に。 「月光」のロング・ヒットが続く中、11月にはアップテンポな曲調の3枚「Cage」をリリース。 明けて2001年2月には4枚目となるシングル、しかも鬼束ちひろ初めての ラブソング「眩暈/edge」をリリース。 そして3月に満を持してリリースされた初アルバム「インソムニア」が発売週のオリコンチャートでは、見事初登場第一位に輝いた。
アルバムリリース後、4月にはミュージッククリップを集めた 1st VIDEO/DVD「ME AND MY DEVIL」を発売。 それに続いて初の全国ツアー「CHIHIRO ONITSUKA LIVE TOUR 2001」も行われ、圧倒的な存在感と歌唱力で全国のファンを魅了。 初めてながら、その堂々たるライブパフォーマンスによってアーティストとしての地位を不動のものとし、2001年夏には各地で行われたロックフェスに出演。 名だたるロックバンドの中にあって、ピアノと彼女の歌声だけというシンプルな ライブは、ロックファンにも「鬼束ちひろ」の名前を深く刻んだ。
そして9月にはアルバム後、初のシングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」をリリース。 前例にないドラマティックかつ壮大感溢れる「infection」、さらにそれと全く対称をなす 「LITTLE BEAT RIFLE」の2曲は鬼束ちひろの可能性を無限に感じさせるものとなった。 その後11月には初のライブVIDEO/DVD「CRADLE ON MY NOISE」を発売。
2001年12月には「眩暈」で『日本レコード大賞 作詞賞』を 又、2002年3月にアルバム「インソムニア」が『日本ゴールドディスク大賞 ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー』を受賞。 彼女の言葉・音楽が世間に受け入れられた瞬間でもあった。 それだけではない。この2001年、彼女の歌声は、世界にも響く。 シリコンバレーに本拠を置く、アメリカの半導体産業でも最も大きな企業の一つ、アプライド・マテリアルズ社の企業CMに「インソムニア」の中の曲「イノセンス」が採用されたのだ。 CBC・CNBCといった放送局から世界中にその歌声が流され、あの歌手は誰? という問い合わせが殺到する。 また、リュック・ベッソン監督、ジャン・レノ主演の映画「WASABI」でも、「螺旋」がその劇中に挿入歌として使用され、多くの反響を得る。 そう、彼女は「国」という枠に収まらない、音楽に国境はないと実証できうる可能性を持った稀有のアーティストの一人なのである。
そして、2002年。 2月には、彼女にとって6枚目のシングルとなる「流星群」がリリース。 続く3月6日には1年ぶりとなる待望のニューアルバム「This Armor」をリリース。彼女の様々な表情がより鮮明となったこのアルバムはこれからの彼女の可能性をより一層 感じさせるものとなった。 さらにリリース後の3月25日よりセカンドツアー「CHIHIRO ONITSUKA LIVE VIBE 2002」が 行われ、多くの反響を得る。
彼女は言う、「インソムニアとThis Armor、この2枚のアルバムで私の第1章が終わるんです」と。ではこれで、彼女の中に区切りがついたのか?いや、そうではない。そう、鬼束ちひろの新たなストーリーは,これから始まるのだ。
以上。公式HPより…。
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